なぜ彼は髪を伸ばし続けるのか?:『ドキュメント 灰野敬二』

『ドキュメント 灰野敬二』、ついに見てきた。


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灰野さんのコンサートは今年二度ほど見る機会があった。両方とも不失者としてだが、ひとつはオーレン・アンバーチ(dr)とジム・オルーク(b)を迎えたもの、もうひとつがたぶん今現在の正式メンバーと思われるryosuke kiyasu(dr)と亀川千代(b)のものでどちらも素晴らしかった。とくに灰野さん同様に大好きなアンバーチとオルークと組んだってことは、彼らが音楽家としてのセンスを共有していることを証明したという意味でファンとして嬉しかった。しかも不失者として。オレは灰野さんのプロジェクトの中では何よりも不失者が好きなのだ。

年季の入った筋金入り灰野フォロワーからすればオレごときはまだまだひよっ子。それでも20年近く彼を聞き続けてきたひとりである。そんなわけでこのドキュメンタリーはなんとしても見てみたかった。だって謎だらけなんだもの、灰野さん。普段の灰野さんの生活ってどんなもの? あの全身黒尽くめファッションの意味は? あの長髪の意味は? 知りたいことが山ほどあるんよ。そうした俗なことより何より自分がこうも彼の音楽に惹かれてしまうのはなぜなのか? その最大の謎に対する答え、いや、答えはなくともそのヒントがこの映画にあるんではないか、と期待が高まる。

映画は彼の生い立ちから紹介していく。灰野さん自身が回顧しつつ時系列に追っていく形。そこですでに・・・え、灰野敬二って本名なの? はじめて知ったよ。おはずかしい限り(汗)。幼少~少年、学生時代を経て音楽家へ、そして現在に至る活動の歩みが描かれていく。古今東西の芸術家がそうであったように、彼も少年期に疎外感や孤独感を経験することに。その中でいくつかの興味深いエピソードや貴重な映像があった。例えば幼少~少年時代を過ごした当時の川越の街並みやご両親の写真等。彼が組んだ最初のグループ、ロスト・アラーフ活動期の日本の音楽シーンとの関係、俗に言う“アンダーグラウンド”シーンの情況が、当時の写真やライヴ・チラシ、コンサート評の映像とともに語られる部分がとくにおもしろい。どこには今ではなかなか想像もできないあの時代独特の空気が充満している。そういえば間章のドキュメンタリー映画『AA』(青山真治監督)にも灰野さんは重要な時代の目撃者として出演していたっけ。

作品中最も興味深かったのは不失者のリハーサル風景だ。彼は頭の中にあるヴィジョンをいかに音で表現しうるか、ストイックに何度も何度も試行錯誤しながら全身全霊をかけて突きつめている。そこで使われる図形楽譜。しかもそれはよくある抽象的図形というより、かなり具体的に細かく指定された図形であり記号だ。灰野敬二の音楽を“ノイズ"って形容する人がいる(実際オレも音楽に疎い人に説明するのがめんどうな時にそう表現することもあるんだけど…)。とくに灰野さんのギター演奏は一聴しただけだとやみくもにかき鳴らしているようにも聴こえるだろう。しかし、その音楽は実は真逆。このリハーサル風景からもわかるように、無機質なノイズを偶然や恣意によって組み合わせものではいっさいない。そこから生み出される音はなんとも緻密で繊細かつ豊饒な音楽なのだ。彼自身が語る。「オレ以上に音楽を好きになってみろ」。彼の音楽を享受するためにはこちらも真剣に対峙しなければならない。つまり彼と同じようなストイックさが強いられる。こりゃ、聞くには覚悟がいるよ。
もうひとつ興味深かった点。彼が音へ向かう姿のエピソードのひとつとして「表」と「裏」の話が語られる。ジャズとの出会いがきっかけだったようだが、それ以来彼は常に「裏」を意識するようになったと。また「間」という概念についても説明していた。「音の響きには音が響いていない部分が含まれている」。このくだりは実に示唆的だと思った。かのデレク・ベイリー(灰野さんとも親交が深かった)が、ギターという楽器の可能性をある種ミクロ的極限まで突きつめたのに対し、灰野さんがは音を無限へと拡張しているように思える。繰り出される音はそれ自身ユニークであると同時にひとつひとつがあたかも「世界=全体」を表現しているようだ。形としての音は一瞬で消え失せてしまうが、それをとりまく、あるいは内包する宇宙がその背後に貼りついている。そう、音の延長に世界は存在し続けている。ああ、だから「不失者」なのか?! まるで哲学的思想のごとき深遠な音ではないか!! と、なんだかんだと理屈をこねてみたけれど・・・、そもそも灰野敬二の音楽を言葉で言い表すことに無理があるか。

映画に話をもどそう。作品はドキュメンタリーなので淡々としている。フィクションのような大げさな興奮もなければ感動もない。また当然のごとく灰野さんのすべてを映画で伝えられようもない。しかし上に紹介したような、この作品を見るまで知らなかった事実も多くあったので個人的には大満足だ。と言うか、黒ずくめファッションやサングラスや長髪の意味といった瑣末な事柄はどうでもいいくらい、灰野敬二の本質に迫っていたよ。その魅力に気づいてしまったからには、これからも彼の作品を聴いていくだろうし、やっぱりコンサートへ足を運んでしまうんだろうな。

あ、そうそう・・・映画の最後、灰野さんが今もっともやりたいことは「昔のようにまた髪を膝まで伸ばしたい」と言っていて、その理由を答えるシーンで終わるんだけど、不覚にもその答えを聞き逃しちゃったんだよなぁ。もしかしたら長髪の意味は瑣末じゃなかったり(それ以前のシーンでは「自由の象徴」とか「反体制の象徴」とか「ロックの象徴」だとか言ってた気もするが・・・)? 映画見た人で彼がなんて答えたか知ってる人、気になるので教えてください。