いぶし銀の魅力に酔う:新宿末廣亭ニ之席夜の部

前回の鈴本演藝場初席に続いて、新宿末廣亭ニ之席夜の部を見てきたよ。柳家一門のベテラン勢が総出演、それ以外にもいぶし銀の魅力を放つ顔ぶれが並び、賑々しくもしっかり聞かせる席だった。てなわけで、以下簡単な感想&メモ。

f:id:curio-cat:20130122162104j:plain

 
 

はん治『粗忽長屋:前回鈴本で見てすっかりお気に入りとなったはん治がまた登場。この話も驚きや狼狽、落胆といった感情の振幅が激しくて彼の表現が輝く。ところで…はん治の声や話し方って、かすれ具合やトーンが俳優の平泉成に似てない?

左橋『代り目』:ほのぼの人情噺。酔っ払った主人の素っ頓狂ぶりをどれだけ突き抜けてできるかが見所。左橋のそれは軽快だよね。*協会の紹介動画でちょうど『代り目』を披露していたぞ。

 

扇遊『引越しの夢(口入屋)』:地味だけど藝の確かさは聞いていればおのずとわかる。こういうの好き。もっと聞きたい、と思わせる噺家

喬太郎『夫婦に乾杯』:酒の商品開発部に勤める新婚のサラリーマン。先輩や上司が夫婦の不仲を当たり前のように語ることに疑問を持ちつつ帰宅。先輩や上司に倣って無理やりに夫婦仲が険悪になるように試みる。上司や先輩と同様、険悪になったことを喜ぶという愚かしさ。翌日出社すると上司や先輩は反対に夫婦円満仲睦まじくなっているという二段オチ。喬太郎と言えば創作落語。このネタももちろん創作。ただし作ったのは昇太だそうだ。よくできた噺ではあるが、それよりもサラリーマンや天然系若妻のディテイル描写で笑わせていた。う~ん、やはり創作はむずかしいよな。創作で唸るようなものは実際そうそうあるもんじゃない。喬太郎にしても彼のチャレンジ精神は買う...けど、やっぱり渋い古典と勝負するには分が悪い。ま、良くも悪くも際立っているけどね。

雲助『新版三十石』:酷い訛りの浪曲師が「三十石」を語る。この浪曲師、訛りが酷いだけでなくたびたび入れ歯が外れて「フガフガ…」となる。調べたらもともとは志ん生が作った『夕立勘五郎』を雲助が手直しした噺だそうな。雲助独自のアレンジ、訛り方、仕草が爆笑を引き起こしていた。単純だけに噺家の技量に左右されるな。もちろん雲助の技量はお見事と言うしかない。

権太楼『代書屋』:膝の半月板を悪くして正座が辛い、というツカミは先日鈴本で見たものと同じ。で、テレビで活躍する噺家を揶揄して「トリがとれる藝じゃない、ありゃ膝の藝だ」というオチ。その時は気づかなかったが、ここで言う「膝」とは「膝替り(トリ前の出番で主に色物)」にかけていたんだね。ネタは権太楼の代名詞とも言える『代書屋』。これはどう転んでもおもしろい。安心して聞いていられる。ご本人もリラックスしてのびのびやっているように見えました。

小満ん『馬のす』:小噺をいくつか立て続けに披露。そのどれもが切れが良くておもしろかったな(メモとって覚えておきたいくらい)。単なる洒落ではなく、皮肉たっぷりのユーモア。上品な語り口が圓生に似てる印象を受けた。が、調べたら文楽の弟子なんですね。ま、文楽圓生以上に上品だが。

金馬『ねぎまの殿様』:先代の金馬があまりにも有名。四代目となる当代はあまり馴染みがない。とは言え...なんと噺家暦七十一年を誇る落語界最古参。御歳八十三歳。高齢で正座はできないとのことで釈台を使う(そういえば去年川柳川柳を見た時、彼も使ってたっけ)。ちょうど週末に大雪が降ったこともありタイムリーなネタ。しかも本郷三丁目から湯島を抜けて上野広小路に出る道はオレもよく使うから噺に親近感が沸く。ひとことで言えば年季ってことだが、いいモン見させてもらったー。

小袁治『家見舞い』:そつないねぇ。噺が流れるように澱みなくスラスラ入ってくる。

一朝『蛙茶番』:ネタは『五段目』という長編落語の後半部分が独立したものらしい。一朝は横笛の名手で歌舞伎の囃し方も務めていたらしい(ちなみに夫人は片岡一蔵の娘)。落語家はみな藝(余技)達者だなぁ。そんな一朝にぴったりの芝居ネタ。落語と歌舞伎は縁が深い。これから歌舞伎も少しかじってみようかなんて思ったりも。*協会の紹介動画でその笛を披露していた。

 

さん喬『そば清』:前回の記事にも書いたように古典の名手。相変わらす巧いねぇ。寄席に合わせての時間短縮したと思われる。その点はややもの足りなかった。フル・ヴァージョンで聞いてみたい。*『そば清』の絶品。志ん朝の動画と馬生の音源貼っとくよ。この違いを堪能して。

小三治『宿屋の富』:まずは枕。雪の日の交通について。小三治高田馬場に住んでいて、末廣亭に来るのも池袋演藝場へ行くにも明治通りを使う。その道が意外と坂が多い、ひいては東京という街はどこも坂が多いってな話から、馬喰町(『宿屋の富』の舞台)の紹介へ。かくいうオレも早稲田に住んでるから高田馬場明治通り、坂の話はすごく身近なんだよね(早稲田の箱根山は山の手線内で一番標高が高い)。前述金馬の『ねぎまの殿様』もそうだけど、こうした江戸の地理と文化の関係が知れるのも落語の楽しいところ。さて、『宿屋の富』はいろんな噺家のいろんなバージョンがあるみたいだが、小三治のそれはもちろん師匠小さんを踏襲したものだろう。田舎もんの口調が巧いし、その口調で吹かれる法螺がすごく馴染む。ドカンッという大爆笑はないもののジワジワと引き込まれた。

 

冒頭にも書いたように今回はベテランが多かった。地味ではあるけれど落語の奥深さを実感。中でも小満ん、金馬、扇遊等が収穫だったかな。またこれらを聞く楽しみが増えたよ。