成熟したアマチュア・バンド?:『Fade』/Yo La Tengo

昨年11月、日本のファンへのちょっとしたプレゼントのようにヨ・ラ・テンゴの来日公演が催された。それはオレの古くからの“ヨ・ラ・テンゴ愛”に再び火をつけるに十分な素晴らしいものだった。それをきっかけに過去の作品をひっぱり出しては聞き返し、懐古的に「ああ、やっぱりいいね」と感じると同時に、「今聴いてもいいな」(つまり昨今の音楽と肩を並べてもいいという意味)と、その素晴らしさを改めて確認していた。

年があけて早々にヨ・ラ・テンゴの新作『Fade』が届く。フルレンクスのスタジオ・アルバムとしては13作目にあたるのかな。なんと、このアルバム、ヨ・ラ・テンゴ史上もっとも好セールスを挙げいてビルボード誌の27位になったんだって!! リリースされてもう二ヶ月近いから、すでに堪能しつくした人も多いだろう。かくいうオレも何度となく聞き返している。リリース時の興奮もややおさまり、あれやこれやつれづれに浮かんできた感想をちょこっと書いておこう。

       

今回の作品はジョン・マッケンタイアのスタジオで彼による録音&ミックスが施されている。上述の来日公演で直接彼らに聞く機会があったのだが、ヨ・ラ・テンゴとマッケンタイアとは彼が以前のバンドで活動していた頃から実に二十年来の知合いで、スタイルこそ違えどもお互いの音楽を認め合ってきた仲だという。マッケンタイアと聞いて真っ先に思うことは、90年代の“ポストロック”を牽引したトータスの中心人物であり、あまたのバンドの録音を手がけてきた敏腕エンジニア及びプロデューサーだということ。また、かつてはアヴァンギャルド・ハードコアとして米国地下音楽の歴史に名を刻んだバストロそれが上述の「以前のバンド」のドラマーだった男である。その彼とヨ・ラ・テンゴが組んだらいったいどんな音楽が生まれるのか興奮せずにはいられない。

 

アルバムに先行してまずは「Before We Run」がネット上で公開された。

ミニマルな曲ながらストリングスとブラスの贅沢なアレンジ。曲が進むに従って昂揚感は高まり、やがてそれは大きなうねりを引き起こし最後は穏やかに終息する。文句なく素晴らしい曲だ。けど、正直「おや、予想とはちょっと違うな」という印象。というのも、個人的に新作は硬質でミニマルなビート、そこにフリーフォームな即興の要素が絡む骨太なアルバムになるのかな、なんて勝手に予想していたから。マッケンタイアおよびトータスはそうした手法を得意としているし、ヨ・ラ・テンゴはサン・ラのカヴァーでも知られるようにジャズにかなり接近した時期もあったのである。で、いざ発売されたアルバムを聞いてみると、収録時間は46分と短め。前作(70分を超える)と比べるとかなり小品で、シンプルな歌ものの割合が多い。色調で言うならパステル・カラー(ジャケットのアートワークが象徴的)。まるで柔らかな陽光が乱反射しながら溶け合っていくようなポップなアルバムに仕上がっている。なるほど、こう来たかぁー。予想はいい意味で大きく裏切られたのだった(笑)。ちなみに…いくつかのメディアでこのアルバムは「喪失」がテーマだと言われているけど、その辺については今のところ謎。もしテーマについて知っている人がいたらどうか御教授ください。

 

アルバムのポイントとなるのは、ずばり“音の綾”。聞き込めば聞き込むほど実に精緻にそれが織られているのがわかる。例えば…初端の「Ohm」。

タブラ風太鼓のファンキーなリズムに導かれてリフが繰り返される、こちらもまたミニマルな曲ながら、ヴォーカルをはじめとする幾重にも重なるハーモニー&コーラスが美しい。曲の後半には彼らのトレード・マーク、カプランのフリーキーなギターがそしらぬ顔でいつの間にかスッと入り込んできてる。「Is That Enough」は古き良き時代の映画挿入歌のよう。ピアノとストリングスが優雅に装い(その背後でディストーションを効かせたギターが鳴り続けてるよ!!)、クラシカルな雰囲気を醸し出している。一方、ヴィンテージ・シンセっぽい懐かしくて安っぽいサウンドの「Well You Better」では、ヴォーカルにも意図的に篭らせたエフェクトをかけて重ねたり(ちなみにマッケンタイアはヴィンテージ・シンセのコレクターで、おそらくそうした器材は今回も使用されているだろう)。空間的なギターとハンマー・ビートが印象的な「Stupid Things」も、よく聞くとストリングスのアレンジが施されている。極めつけはやはりラストの「Before We Run」。上述したようにストリングスとブラスがシンプルな曲を贅沢に飾っているのだが、決して音で曲を埋め尽くしたりしない。むしろ音の陰影で曲を鮮明に浮かび上がらせていると言ったらいいだろうか。こうした“音の綾”は、おそらくマッケンタイア及びサポートで参加しているジェフ・パーカーやロブ・マズレクといったトータス・ファミリーの面々によって紡がれていったのだろう。

逆にいかにもヨ・ラ・テンゴらしい曲となると「Paddle forward」だな。不穏なギター・ノイズで始まるこの名曲「Sugar Cubes」を彷彿させる。Cornelia and Jane」(ハブレイの癒し系ヴォーカル&コーラス)と「Two Trains」もまた、浮遊感があっていかにもヨ・ラ・テンゴらしい。フワフワと漂うシャボン玉のよう。ただし、ここでもアレンジに管楽器(ホルンかな?)が使われるなどレイヤーに凝っている。やや異色、と言うか出色なのはなんと言っても「I’ll be Around」。

フィンガーピッキングで繊細に演奏されるアコーステイック・ギターを軸に淡い音のグラデーションが描かれている。オレはこの曲を聴いてすぐに、ジム・オルークのアルバム『バッド・タイミング』を思い浮かべた。感触がすごく近いな、と…。

ちなみに…オルークはかつてデヴィッド・グラブスとのユニット、ガスター・デル・ソルを組んでいたのだが、そのグラブスこそがバストロの中心人物で、無論オルーク、グラブス両者ともマッケンタイアとは近しい関係にある。

 

と、まあいろいろ好き勝手な感想を述べてきましたが…結局のところ、ヨ・ラ・テンゴはいつもと変わらず肩の力を抜きあくまでも自然体で取り組んでいる。長年にわたってインディーで生き残ってきた(そして愛され続けてきた)彼らがそうそう劇的に変化などしないものだな。もしそうなったとしたら逆にヨ・ラ・テンゴではなくなってしまうよね。まさにマイペース、我が道を突進むって感じでなんだか安心。ただ、そう言いつつも常に冒険心と実験精神(彼らの場合は「遊び心」と言ったほうがしっくりするかも)を失わないのも彼らの良いところ。今作について言えば、今までにない曲のスタイルに取り組むとか新しいジャンルを取り入れるとかというより(すでに彼らはガレージ・パンク、フォーク、サイケデリア、フリー・ジャズモータウンと様々なスタイルを通過してきた)むしろ、新しいサウンドによって曲の表情は豊かになり奥行きが広がった。

もう一点。アメリカン・インディーのネットワークが二十年歳月を越えてこうして活かされている。ヨ・ラ・テンゴなんて今でこそ「アメリカン・インディーのカリスマ」なんて言われてる(カリスマの使い方間違ってるし・・・)けど、地味なインディー時代がずっと続いてたバンドだ。それぞれに進化し変遷を辿ったミュージシャン同士が互いの音楽にリスペクトを示しつつ共同作業でひとつの作品を生んだってことも興味深いし嬉しいよね。あ、そうそう、もうすぐ発表されるパステルズの16年振り(!!)となる新作もマッケンタイアが録音してるんだぜー。興味はつきない。