静謐と幽愁の美学:The Invisible Way/Low

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ロウの新作『The Invisible Way』が素晴らしい。

彼らをはじめて聞いたのはアルバム『Secret Name』が発表された1999年で、以来彼らの作品は愛聴し続けてきた。当然新作にも期待していたけど、これほどヘヴィーローテーションするなんて…!! どの曲も聞けば聞くほど吸い込まれていく。心の真ん中までジワジワと浸透し、そこに居座る。捨て曲皆無。全曲ハイライトの傑作。というわけで、発売されてからすでに三ヶ月が過ぎた今頃ではあるけど(苦笑)…以下アルバムの感想をば。

 

活動歴も20年の節目を迎えたロウ。フル・レンクス・アルバムとしては10作目だそうだが、彼ら本来の魅力満載の快作に仕上がっている。「本来の」とここで言うのには理由がある。前作、前々作と二枚のスタジオ・アルバムはデヴィッド・フリッドマン(ご存知フレイミング・リップスお抱えエンジニア。リップス第四のメンバーと言ってよい)のプロデュースに委ねた。そこで彼らはエレクトロニカなどの先鋭的サウンドを導入しつつ、ロウにしてはかなりカラフルかつハード&ラウドに傾斜していったのであった。確かにバンドは新たな側面を開拓したであろうし、実験性の楽しみもあったけれど…アルバムを聞いてみるとどことなく馴染んでいない印象は否めなかった。そのせいかどうかは分からないが、今作は明らかにシンプル&ミニマルな原点へと回帰している(スティーヴ・アルビニ御大がプロデュースした二枚のアルバム「Secret Name」と「Things We Lost in The Fire」の質感に近い)。

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それに伴って今作は特に楽器の生音が最高に気持ちいい。ポップ・ソングではメロディとかリズムとかのツボに耳が行くと思うんだけど、この作品では細部の音の響きまで本当にじっくり聞かせる、ってか鮮明に聞こえる。それほどギター、ドラム、ベース、ピアノといった楽器、そしてヴォーカル、それぞれが主張しながらも決して衝突しない調和のとれたアレンジなのだ。また、ちゃんと聞こえるように録音もしている。これは今作のプロデュースを手がけたジェフ・トゥイーディ(ウィルコ)の手腕だろうか。このサウンドのきっかけはウィルコのロフト・スタジオの雰囲気―様々な楽器で埋め尽くされていた―こともあるけれど、そこで彼らが手がけていたメイヴィス・ステイプルズ(R&B、ゴスペル・グループ、ステイプルズ・シンガーズのリーダー)の曲に激しく感化されたらしい。

そうそう、ちょっと話は逸れるけど…今言ったように今作はトゥイーディーのプロデュース。偶然にも今年4月の来日公演で初めてウィルコを目にして彼らの音楽の豊かさ、とりわけアメリカの土着音楽と前衛を融合させながら極上エンターテイメントに仕上げるトゥイーディーのセンスと音楽性の豊かさに感服したばかりだった(ウィルコの名前は以前からよく耳にするけど、これまで音源にあまり触れてなかったんよ:汗)ので、ロウと彼のコラボにも注目していた。結果は上に述べた通り、シンプルなサウンドによって曲の美しさが純化されており大成功である。

話を戻そう。今作で次に目立つ点はミミ・パーカーのヴォーカルが多いこと。今回彼女がリードをとっているのは全11曲中5曲。これまでのアルバムではたいてい12曲であったから、格段に増えたしディスコグラフィ上も特別な作品だと言える。「So Blue」では軽快に、「Holy Ghost」では子守歌のように優しく、そして「Four Score」や「To Our Knees」のダブル・ヴォーカルによる美しいハーモニーと、どんなスタイルであってもパーカーのソプラノは聖母の囁きだ。賛美歌のように澄切った神聖な響きがある。でもそれは例えばオペラ歌手のように声楽の訓練を受けたものとは違う。作品に合わせて歌っている声ではなく、自身の感情から溢れ出た生の声である。美しいと同時に生々しくリアルな強度を持っている。その声で歌われるリードはもちろん、ハーモニーとコーラスはロウの至宝。この声を聞いているだけでウットリしてしまうもの。いや、それどころかHoly Ghost」を聞いていて、不覚にも涙が溢れ出てしまった(こんな体験ジェフ・バックリィの「Hallelujah」以来だよ!! 別にキリスト教徒でもないんだけど…)。

ちなみに、もうひとつあるパーカーのリード曲「Just Make It Stop」はアルバム中最もキャッチーで、彼らが1999年に発表した「Just Like Christmas」を彷彿させるな。

さて、もうひとつ目立つ点。今作はピアノとアコギが大活躍しているよね。ピアノを弾いているのは新メンバーのマルチプレイヤー、スティーヴ・ギャリントン。彼がピアノで刻むリズムと響きの余韻がアクセントとして印象に残る曲も多い。「Ametyst」、「Clarence White」、「Mother」などは、ピアノとドラム、そしてアラン・スパーホークのアコギとのアンサンブルが冴えてる。特に「Ametyst」は、全体的にミニマルな今作の中でひときわダイナミック。個別の曲についてもうひとつ付け加えると、「On My Own」が出色だなー。春風がさわやかにそよぐような前半の曲調が、後半一転して不穏な空気に包まれ、嵐のように歪んだフィードバックギターノイズが荒れ狂う。冒頭で「捨て曲皆無。全曲ハイライト」と言ったけど、敢えてハイライトを選ぶなら間違いなくこの曲だろうね。

と、ここまで書いてきて気づいたのだが…今作は確かに原点回帰してはいるけれど、かつてほどの重苦しさや陰鬱さはないような気が…。そういえば彼らが前作を発表した後のツアー中、スパーホークが欝に陥ってツアーを中止したんじゃなかったっけ? もしかしたらそこから回復したことによる気分的なものが曲作りに反映されたのかもしれない。

とは言え、彼らの原点となる美学―それはずばり「Slow and Quiet」―は変わらない。スパーホークはかつて「静かな曲でも客に聞かせたいならよりいっそう音量を落としてゆっくりと演奏をすればいい」と言って、バンドはそれを実践してきた。そして事実彼らは徐々にオーディエンスの注目を集め、今ではライヴ会場の誰もが聞き耳を立てて彼らの音楽を聞くようになった(一度でも海外のクラブでライヴを見た人なら、その騒々しさが日本とは比べものにならないことを知っているだろう)。

感情の激しさや深さや重さは何も爆音や高速BPMで表されるわけではない。ゆるやかなテンポと微小な音はどんな過激なパンク・ソングよりも緊迫感を漂わせる。またシンプルなモノクロ写真の方が極彩色の派手な絵画よりも強いインパクトを与えることもある。それを教えてくれたのがまさにロウであり、彼らに出会ってからオレの音楽の聞き方も変わった。ロウとは静謐の中の美であり、幽愁の中の美だ。そのゆるやかなテンポに酩酊し感染する。シンプルなのに美しい。重苦しいのに美しい。あまりにも美しい。あまりの美しさに言葉を失うのであった。

 

追記:“一般的にロックと呼ばれてるもの”を聞いてはいるけれども、実は “ロック的なもの”ってあんまり好きじゃない。といっても、それは音楽の様式じゃなくてアティチュードなんだろうな。そのアティチュードってのは音楽に表れる。言葉でうまく言えないけど…。で、“ロック的なもの”の対極にいるのが、オレにとってはロウだったり、あるいはヨ・ラ・テンゴ(過去記事はこちら)だったりパステルズだったりする。今年に入って偶然にもインディーとして長年活動する上記3グループが次々に新作を発表し、今も変わらぬその素晴らしさを見せてくれたことによって、再び音楽への関心、特に洋楽バンドへの関心を取り戻したのだった(笑)。現在は先日なんと16年振りに発表されたパステルズの新作を夢中で聞いてるよ!!