空間現代 COLLABORATIONS@SuperDeluxe:その1

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十月某日。

 

空間現代が三日間日替わりでコラボーレションをするという企画、その名も「空間現代COLLABORATIONS」に行ってきた。

空間現代は不思議なバンドだ。(ポスト)ロック的でもあるし、実験的ながらも非常に詩的(意外と思う人もいるかもしれないが)でもある。つくづく不思議に感じるのは、そういった様々な要素を孕みつつもなにか大きな潮流に乗っかってる感じはいっさいない。むしろ突然変異的に生まれたようで、かつガラパゴス的に進化してるように見える。オレの知ってる限りこうした存在は非常に稀有だし、ここ日本(東京)でしか生まれて得ない音だとも思う(本当の意味でのクール ジャパン?)。

イヴェントのサブタイトルにあるように、コラボをすることによってはたして彼らは解体・拡張・越境していくのか。それはつまり空間現代の核心を暴き、おそらくまだまだ秘められている可能性を望見させることにもなるだろう。非常に興味深い。まずは初日公演から。

 

前座はGreen Butlerとsim。simは久しぶりに見る。それもそのはず。それぞれに活動しているメンバーだけどsimとしてライヴするのは三年半ぶりとのこと。

昔からオレは植村昌弘の堅固なドラムが大好き。いかなるメロディやサウンドが奏でられようと彼のドラムがひとたび響けばすべてが収束する。simの混沌としたノイズを拡散させずにくくりつけているのは植村のドラムのおかげか?

楽曲は空間現代を意識したのだろうか、間合いが少し似てる。と、一瞬考えたりもしたけど、いや、simはもともとこんな感じだったかもしれない。彼らの手法は確かコンピューターで作曲。それを生で演奏するというものだったような(記憶が正しければ)…。とすると、空間現代の特徴である意図的なエラーやノイズの再現に通じるものがある。こんな風に言うと、難解な音楽だと思われる方もいよう(大谷能生が絡んでるってだけで理屈っぽい印象がしてしまう?)。でもsimに限って言えば意外とロックっぽい。理詰めというより、言うなれば生命を宿した機械のよう。ちょっとサディスティックな暴力性、陵辱してる感じも。脳と身体を同時に刺激するミックスの塩梅、その反復が痛気持ちいい。この3ピース形態によってこそ作り出せるものなのか。

 

主役の空間現代×SjQ。恥ずかしながらSjQのことはまったく知らなかった。サムライ・ジャズ・クィンテットの略らしい(名前ダサすぎ:苦笑)。当然、普段どんな音楽を演奏してるのかも知らない。この日は生楽器の演奏に加えて、ピンポン玉だかビー玉だかを転がす&弾かせることで音を生成する自作発生装置と、その様子をプロジェクターで投影させるというなにやら凝った編成。が、手法としては単にチャンス・オペレーションの流用…?

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いつもはきっちりタイミングを合わせてくる空間現代が探りあってる感じ。空間現代による「エラーの再現」とSjQの「意図されたエラー」が絡み合って、いったい何が生まれるのだろうという好奇心。予定調和でないスリルはある(「予定調和にならない」という予定調和が生まれるって矛盾は残ってしまうけど…)。

「エラーと反復、絶妙の間合い」は、音数が込み入りすぎていたせいで薄れていた。一方、サウンドとしてはホーンの絡み具合がなかなかオツでした。管楽器は空間現代の音とも相性いいと思ったし、多用なサウンドがあると単純におもしろさが増す(わかりやすいですね)。終盤、空間現代のヴォーカルが響くや否やガラッと空気が変わる。複雑化して主体から遠のいていく音楽(それはもはや音楽ではないのかも?)を身体の傍にグッと手繰りよせ熱も体感できるようになる。穏やかな風が吹き込んで、日常の景色が広がる。やはりあの素っ頓狂でヘナヘナなヴォーカルの魅力と威力が空間現代最強の武器だということを際立たせたのであった。

その後SjQについて調べると「ライヴ・エレクトロニクスが特徴」と書かれた紹介記事を発見。生音をリアルタイムでプロセッシングするってことかな? なるほど、今回もそういった手法は取り入れていたのだろう。でもそれはあくまでもSjQ側の音のプロセッシングで、空間現代の音をいじってるようにはあまり聞こえなかったな。せっかくのコラボなんだから空間現代側の音も大胆にいじり倒したらもっとおもしろかったかも…? 

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