私的アキ・カウリスマキ作品BEST3

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フィンランドの映画監督、アキ・カウリスマキの最新作『ル・アーブルの靴磨き』が今年4月に日本で公開された。公開後すぐ、大きな期待とともに勇んで映画館へ出かけていったのだが、期待は少なからず裏切られた。たしかに随所に“カウリスマキ流”の台詞、映像、そしてプロットは見られるもののオレの大好きなカウリスマキには遠く及ばなかった。その原因は何なのか。カンヌの栄冠を手にして守りに入った? 歳でセンスが鈍った? いや、もしかしたら作品はそれなりの秀作だったけどオレの期待度が高すぎただけでそうした印象を受けただけかもしれない(何度か見直せば評価が変わる可能性も無きにしも非ず?)。

ただし今回、嬉しいことに新作の公開に合わせて旧20作品すべて上映という特集(@渋谷ユーロスペース)が組まれ、それが好評だったのかこの10月にも同劇場で同じ特集を再開している。そこでこれまで見たことがなかった初期作品を見る機会を得た(ちなみにオレは初見の作品はDVDでは極力見ないようにしている)。その中には、正直、新作よりもはるかに面白い作品があったし、オレが愛して止まないいくつかの旧作品は今見ても変わらず素晴らしいのであった。

ってことで...新作『ル・アーブルの靴磨き』の評価はひとまずおいといて、これまでのフィルモグラフィーの中からあくまでもオレが推すカウリスマキの魅力満載「私的カウリスマキ・ベスト3」を勝手に選出、カウントダウン形式で紹介していこう。

 

3位:『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ』(1989

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ロシアの架空のロックバンド、レニングラードカウボーイズが成功を夢見てアメリカに渡る。極寒のシベリアから摩天楼がそびえ立つニューヨークへ。さらに大陸を縦断し最終的にメキシコに辿り着くというロードムービー

カンヌ受賞で今や巨匠とまで称されるカウリスマキだけれど、オレの中で彼は独特の視点とユーモアで世界を映すカルト監督だ。一般的にもその異名を手にするきっかけになったのがこの作品。気候も文化も政治体制も違う(1989ソ連崩壊前の冷戦体制!)アメリカで自分達のファションとライフスタイルを貫き続けることで招くトラブルと悲劇がこの映画の最大の可笑しさ。傍から見ればマヌケな行動を大真面目にすることで東側文化(=ソ連体制)を風刺してるんだけど、同時にカウリスマキの“アメリカ的なもの”への憧憬が茶化しながら表現されている部分もある。レニングラードカウボーイズって名前からしてそうだが、ロシア民謡バンドでありながらアメリカでデビューを夢見たり、客に受けるために次々とロックやカントリー・ミュージックに変容していったり、ビーチ・ボーイズみたいに日焼けすれば売れると言って海岸で日光浴したり、実際『Born to Be Wild』を演奏してヘルズ・エンジェル風の客に大うけしたり。

台詞は極端に少ない。その少ない台詞と乏しい表情を補うのが映像だ。場面の描写によって可笑しさを表現していく。無声映画的に映像でストーリーを語るのがカウリスマキの常套手段。顕著なのは登場人物がいっさい笑わないところだな(唯一、食事代を渡されたメンバーが勝手に派手なスーツを買って戻ってくるシーンだけ笑顔を浮かべていたと記憶する)。ちなみにジム・ジャームッシュが中古車屋のディーラー役でカメオ出演している。

 

2位:『マッチ工場の少女』(1990

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マッチ工場で働く根暗で孤独な少女が主人公。工場での単調な作業をくりかえす日々。母親と無職でろくでなしの愛人が同居する家庭は少女ひとりが家計を支えている。出会いを求めて出かけた盛り場で知り合った男と一夜を共にするが、男はただの遊びに過ぎなかった。そして訪れるさらなる不幸・・・。

暗い。とにかく暗い。終始不幸の連続でまったく救いようがない。マッチ工場での製造過程。無表情の登場人物たち。相変わらずの台詞の少なさ。なけなしの金で買ったドレスやヤケ食いのケーキといったほんのささやかな喜びによって、単調さ、憂鬱と退屈が強調されている。ただしこの作品、全面不幸で埋め尽くされているにもかかわらずジメジメした悲壮感は微塵もない。やけに乾いている。とことん冷徹無情で虚無的な描写が作品をカラっと乾かせているのだろう。そして不思議なことに、こんなにも身も蓋もないとむしろ笑えてしまうのだ。

虚無感はこの作品に限らず初期のカウリスマキ作品にほぼ共通していることだが、これも彼の特徴的手法でありこの映画で最大限発揮されている。究極の悲劇こそ最高の喜劇となりえることを実証してみせた名作。

 

1位:『真夜中の虹』(1988

 

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鉱山の閉鎖によって失職したひとりの炭鉱夫が生きていくために南の街をめざすが、そこでも苦難と不運に見舞われる。ひとりの女と出会ってついに男は幸せを摑むかのように思えたが...。

『マッチ工場の少女』の悲劇のアイロニー、『レニングラードカウボーイズ』の破天荒な笑いを融合させ、且つロマンスとして見事に成立させたのがこの作品である。ロードムービーの要素とカウリスマキ流ユーモアが随所に散りばめられているところも大好き。一方で見逃してならないのは、カウリスマキの全作品に共通するテーマが象徴的に描かれている点。それは何かと言うと...ずばり、「幸福への強い希求」だ。

彼の映画に登場する人々はもれなく満たされない境遇に置かれている。おもしろいのは政治や世の中に不満を言ったり社会変革を望んだりせず、あるいはそのために行動を起こしたりもしない。どんな不条理で不運な出来事に遭遇しようともそれを淡々と受け入れ、自分の生き方を変えることは決してない。ほんのささやかな幸福を求め、たださまようのみ(『カラマリ・ユニオン』、『パラダイスの夕暮』、『真夜中の虹』、『レニングラードカウボーイズ~』、『コントラクト・キラー』等々。新作の『ル・アーブルの靴磨き』もまさにそうだった!!)。そして新たな地でも再び困難と不運に見舞われる。それの繰り返し。ここに本能的原始的欲求に忠実な人々の姿があり、カウリスマキが一番描きたいものはそれなんじゃないかな。

 

上位三作品を並べてみて、オレが愛するカウリスマキの魅力がなんとなくわかった気がする。それは人生の無常(無情でもある!)とそれに抗う人間らしさとの対比。で、上にも言ったように、決して情緒的、あるいはヒューマニズム的に描くのではなく、むしろ虚無的に実にカラッと描いているところなんだな。

『ル・アーブルの靴磨き』はハートウォーミングでハッピーエンドな作品と一般の映画評では言われてる。カウリスマキの「幸福への希求」というテーマもど真ん中に据えられている。しかし...。この作品の馴れ合いの温かさはオレにとってはちょっとジメッとしすぎ。以前のカウリスマキが投げかけていた乾いた視点”がやっぱりいいんだよなー。