光と音の宇宙:Filaments Orchestra@世田谷パブリック・シアター

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世田谷パブリックシアター先日行われたフィラメンツ・オーケストラは素晴らしかった。音だけではなく視覚的にも芸術的で、少なくともオレの音楽体験の中ではかつてないほどの美しい公演・作品であった。同時にあのフィラメンツからこのような形の美しい音楽が生まれるとは思ってもみなかった。いやはや感動。

 

フィラメンツ・オーケストラの公演を語る前に、その軸であるフィラメンツがそもそも何なのかざっと説明しとく必要があるかな。と言っても、うまく説明できる自信ないんだけれど…(苦笑)。だって彼らは従来の「音楽」のタームから飛出てしまうような存在だからねぇ。

大友良英Sachiko Mのユニットとしてフィラメンツが活動を開始したのは1997年。演奏形態は大友さんがレコードなしのターンテーブルSachiko Mがサイン・ウェイヴ(サンプラーのテスト・トーン)とスイッチ動作によるノイズ。オレが最初に彼らの演奏を聴いたのは、結成から数年が経った2000年前後だったと思う。「音響系」とか「弱音・微音系」とかいう“新しいジャンル”が雑誌で見られるようになった頃だ。彼らの演奏・作品、音の数及び量は非常に少なく、メロディやフレーズというものは皆無。一般的な音楽作品に見られる起承転結さえない。鳴っている音をあえて文字で表すなら…「ピ――――」「ツ―――」「ゴ―――」「ブ―――ン」「ブチッ」「バチッバチッ」「ガガッ」「ゴゴッ」「ザザッ」とか(笑)。「いったいこれは何?」と目の前の出来事を理解できずに混乱する一方、「なんかよくわからんけど面白い!」と人知れず興奮したのを覚えている。いわゆるフリー・インプロと呼ばれるような即興とも違う、ましてやインダストリアルで無機質な電子音楽とも違う。抑制的でミニマル、肉体性や叙情性をとことん排除し、研ぎ澄まされた音の響きに焦点を絞りこんだ新しい音楽作品・演奏だと思った。自分で言うのもなんだが、人並みに現代音楽や前衛音楽と呼ばれるものは聞いてるし、ハードコア・パンクやノイズ・ミュージックに至ってはそれ以上に聞き漁っているつもりだけれど、彼らの音楽ほど冷徹で残忍な音楽はないとさえ思った。音があんなに小さいにもかかわらず…(笑)。それでいて枯山水のような美しさを湛えているのである。

その後、何度かライヴに足を運んでいるうちに、彼らのどんな点に自分が好奇・興奮しているのかなんとなく分かってきた気がする。自分なりに解釈してみると…従来の音楽は音を積み重ね構築していくことにより、または音楽的な伝統や記憶や慣習等のアーカイヴを参照すること、あるいは独特の音色によってそれぞれ個性を表現しているのに対して、フィラメンツはそうした構築や音楽的アーカイヴを参照することを拒否しているんだと思う。おまけに、ご存知の通り倍音を持たないサイン・ウェイヴには音色もない。意味を持たぬまま、あるいは与えられないまま生成された音は、鳴り響いたその一瞬で消え失せ、次の瞬間にはまた新たな意味のない音が生まれる。あるのは「無→有→無…」という刹那の連続だけ。しかし、そこには確かに“響き”が存在している!! この発音(と同時に作曲でもある)の繰り返しによって音の響きが意識の上で限りなく純化されるんじゃないかな。

もうひとつフィラメンツで重要な点は、彼らの演奏・作品が「場」に大きく左右されるということ。音の創造が依拠するものが、互いの演奏(発音)と演奏環境という「場」であるということだろうか。それは主に個(体)性の外部にある。そのことによって個(体)性が限りなく稀釈されていく(完全になくなるわけではないけど)。

で、オレが身をもって実感して気づいたことなんだけど、実はこのふたつ以上に重要なことがある!! フィラメンツでは聞いている我々に高い志向と集中を促すということ。「聞かせるもの(参照すべきもの)が明確に存在」し、かつそれを「明確に提供する」、言うなれば与えられるものをおとなしく聞いていればよい(踊り狂っていようが、ヘッドバンキングしていようが…)という、今まで体験してきたコンサートと違い、聞く側が高い志向と集中を維持できなければ自分がいったい何を聞いているのか即座に見失ってしまうのだ。その場合、彼らの演奏は単なる雑音に帰してしまう。というわけで、聴取形態という意味においてもフィラメンツのライヴは過激で新しいと言えるのだった(ちゃんとした説明になったかな?)。

 

そのフィラメンツを含め総勢10名のメンバーが参加してオーケストラという形態をとったのが今回のコンサート。山口情報芸術センターYCAM]で2008年に行われたサウンドインスタレーション「Filaments」をモチーフにしているらしい。

メンバーは以下:大友良英(ギター、他)/Sachiko Msinewaves )/勝井祐二(バイオリン)/石川高(笙)/大口俊輔(アコーディオン)/佐藤芳明(アコーディオン)/さや[テニスコーツ](ヴォーカル、他)/植野隆司[テニスコーツ](ギター)/坂田学(ドラム、パーカッション、他)/高良久美子(パーカッション)

ごく端的に言えばフィラメンツの着想&美意識をOtomo Yoshihide's Ensembles(こちらに関しては過去記事を見てね)で実践したってことかなぁ。フィラメンツの基本スタイルである「場と関係性」を強く意識しつつ、今回は親しみやすい音と曲を用いながら演奏がなされた。最初は完全な即興で進むのかと思ったけど、聞き終わってみると全体の構成はあらかじめ決められていたことがわかる。曲のように聞こえるフレーズがあるってことだけでも通常のフィラメンツと大きく違うが、全体として最終地点に向かって作曲・演出されていた点は決定的な違い。つまり明らかに作品として「構築」されていたわけだ。その点ではフィラメンツとフィラメンツ・オーケストラは似ているけれども別なものと捉えた方がいいのかもしれない。

「場と関係性」に関してはフィラメンツの取り組みと共通していたと思う。まず客席がステージ上にあり出演者は客席で演奏するという、普段とはまったく逆の聴取構図になっていたこと。そして三階まである客席に演奏者たちが散らばって、または移動しながら演奏するから情況の変化に応じた即興的要素は大きい。会場(つまり客席)は三階まであるすり鉢状で時に音は空から降ってくるように聞こえ、また移動している演奏者もいるから、同じ音でも違う方向から聞こえてきたりもする。視覚的には、照明が落とされた暗闇の中、誘導灯あるいは演奏者の携帯ランプだけがわずかに点滅するのみ。聴覚的にも視覚的にも、通常のPAシステムや舞台装置が演出する「与えられた音」ではない。その中で出演者たちが演奏し、オーディエンスも「志向と集中」しながら能動的に“響き”に耳を傾けるという仕組みだ。

 

演出(仕組み)は様々なイメージを喚起した。人によって抱いたイメージは様々だろう。オレは単純にこの闇を夜や宇宙のように感じていた。点滅する光は夜空に瞬く星だ、と。その光と音は宇宙の生成、誕生と消滅の象徴として見ることができる。また夜の闇の中を飛び交う蛍のようにも見えたし、人霊のようにも見えることもあった。日常ではないけれど完全な非日常とも言えない、そのふたつの間を行き交うような不思議な空間だった。今までに何度となくフィラメンツの演奏を体験していたオレは、正直、前半、小さく微細な音の響きも逃すまいとかなり緊張しながら聞いていたんだけど、演奏が進むにつれて「もういいや」となり、途中からは完全に自由に音の海に身を投げ出し、流れに促されるまま耳に入ってくる音を受け入れる、つまり志向を解き放つことにした。ミクロな聞き方でなくマクロに聞いてみよう、って…(笑)。そしてその聞き方で今回は正しかったと思う。

最終部分、徐々に音量も高まり、バラバラに散らばっていたそれぞれの音の欠片が一点へ収束していく。やがてそれは大きなひとつの“響き”として統合された。照明も次第に明るくなり、会場、つまりすり鉢状にぐるりと舞台を囲んでいた客席の全貌が露になると同時に、演奏者の姿もそこではじめてはっきりと浮かび上がった。この最終部分は寿命を迎えた恒星が消滅する直前に放つ強烈な光の様にも思えたし、夜明けを迎えた一日のはじまり、新しい生命の誕生のようにも思えた。そうした美しい様と一緒に襲ってきた開放感と高揚感にオレは感動したのだった。

この公演が素晴らしかったのは、当然世田谷パブリックシアターという特別な「場」をオーケストラが最大限に活かしたからだ。それは大友さんやSachiko Mがこれまでに培ってきた「場」と向き合う演奏、それだけでなく様々なインスタレーション作品も含めた活動の結晶のようなものだった。フィラメンツ単体もいいけど、こういう形でのコンサート、是非また見たい。

 

追記:

①公演を見て武満徹の『November Steps』を連想した。この公演を武満が見たらきっと喜んだろうね大友さんこそ武満徹の嫡子にふさわしいんじゃない? 大友さんの近年の活動、映画音楽やテレビドラマ音楽の仕事を見てもそう思う。その辺についてはいずれ詳しく記事に書いてみたい。

②この公演、フィラメンツという軸の一方でテニスコーツのふたりの存在が触媒作用として重要だったと思うんだ。彼らの柔軟さがフィラメンツと他の音楽家たちを結びつける。フィラメンツのストイックさとテニスコーツの緩さは対極だもんなぁ。余談だけど公演の最後に照明が灯り演奏者の姿が現れたとき、Sachiko Mがドレスを着ていたのに対して植野隆司もさやも近所のコンビニに買物に行くようなゆっる~い格好だったのがちょとおかしかった。テニスコーツおそるべし(笑)