音楽は魔法ではない?:ニュータイプ・シンガーソングライター、大森靖子

829日@新宿ロフト。今年に入ってからずっと気になってるアーティスト、大森靖子のライヴを見てきた。

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この日は戸川純とのジョイント・ライヴ。強烈な個性を放つ新旧女シンガーソングライターふたりを一夜で見られるお得なイヴェント。会場には若い女の子の姿も多い。戸川純目当てなのか大森靖子目当てなのかはわからない。というのも、の子(神聖かまってちゃん)が戸川純からの影響を公言したりアイドル・グループ、BiSが戸川純をカヴァーしたこともあって、若い世代にも彼女の名が知れ渡るようになったからだ。いずれにせよ…普段むさ苦しいオッサンが集まるライヴばかり見てるもんだから若い女の子のいるイヴェントになんとなくウキウキする。

 

登場順が逆になるけど、まずは戸川純のステージから。久しぶりに見た戸川純はブクブクと肉がついててちょっとビックリ! オレのイメージの中の戸川純は「病的な薄幸の少女」あるいは「アングラの女王」だからさー。その変容ぶりを彼女は「木嶋佳苗みたいになっちゃった」と自虐ネタにしていた(苦笑)。見た目はかなりのオバサンではあったけど、歌は依然劣らずの妖艶さと迫力。お馴染み「好き好き大好き」のパンク・ヴァージョンでは声域の広さにあらためて感心した。昔は彼女独特の文学性やメルヘンが幻想的に響いていたのだが、今聞くともっと普遍的でリアルに感じられる。戸川純が変わったのか、時代が変わったのか、オレ自身が変わったのかよくわからない。機会があったら戸川純についてもっと深く考察してみたい。

 

さて、今年一番の注目株、大森靖子は前座と戸川の間に登場した。彼女のライヴを見るのは今回が二度目。前回はデビューアルバム発売ツアーの最終日、渋谷のクラブクアトロであった。派手にショウアップされたその時のステージと違ってラフに登場。ロフトというゆるい環境と相まって親近感が沸く。と言っても、ギター一本携えて全国を駆け巡る大森にとってはこうしたラフなステージの方が通常か。

オープニングは「OVER THE PARTY」。特に派手な演出もない中、無防備に耳を傾けていると歌詞に出てくる「美容器具とビョークのミュージック」という押韻にハッとする。この言語センスこそ大森の真骨頂。一気に引き込まれた。

2曲目は昭和の雰囲気が漂うブルース「あたし天使の堪忍袋」。コーラスを一緒に歌うように促されたんだけど、始まったばかりで興が乗ってなかったこともあるし恥ずかしさもあってオレは歌えなかった(自意識捨てられないオレはまだまだだな:苦笑)。3曲目「新宿」。風俗店と客引きが割拠する歌舞伎町のど真ん中にあるロフトのロケーションはまさにこの歌の風景と重なる。そして八月ながら残暑が厳しかったこの日、実にタイムリーな「夏の果て」も披露。だらしなくくたびれた夏のひとコマを歌にしたものだが、まどろみの中に猟奇的恐怖が潜むホラー・ソングでもある。「ハンドメイドホーム」はカントリーソング調のリズムでたたみかけるギター・カッティングがノリノリの歌。たぶん大森自身演奏するのが好きなのだろう。楽しそうに演奏しているのが伝わる。

後半、MCでステージ衣装について触れ、「いつも左手首を隠すような衣装デザインなんです」と。ステージ上での彼女の話し方とか聞いてると「大丈夫か、この子?」と思わせるところもある…。そして演奏されたのが「パーティードレス」。「時々手首を切らないと幸せがわからない…」。ドキッとするよ。後半では初めて聞く曲(新曲かな?)がいくつかあった。どれもキャッチーながら、言葉のフックが効いている。そしてアンコールでは「キラキラ」「さよなら」「PINK」の3曲(いずれもデビューシングルに収められている)をアカペラで。スタイルとは関係ない声と言葉の強靭さ、そこに彼女の原点を見た気がした。

 

大森靖子。「靖子」は「せいこ」と読む。彼女のことを知ったのは、たしかツイッター上での誰かのつぶやきだったっけ。見た目アイドル風のシンガーソングライターがどんな歌を歌っているのか興味を抱いて、ググッたらネット上にいくつもの動画がすでにアップされているのを発見。それを見てぶっ飛んだ!! まだあどけなさが残るかわいらしい容貌(もうすぐ26歳になる)からは想像も及ばない鬼気とした迫真の唄。詩のセンスと表現力に強烈に惹きつけられる。PC画面の前で「新たな才能」に出会えた歓喜で震えたね。

 

その後、期せずして大森の躍進が続く。初のソロ・アルバムのリリースとそれに合わせた全国ツアー。ツアーの最終日、渋谷クラブクアトロでの満員ライヴ。その模様を収めたDVDの発売。しかも彼女はレコード会社と契約せず、プロダクション事務所にも所属しておらず、ほぼひとりで活動をしているという。そんな中、企画されたのが今回のライヴであった。

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大森の歌は痛々しい。傷口をから血がドクドク流れ出るのを見せつけられているよう。その痛々しさに思わず目を逸らしてしまいそうになるけど、怖いもの見たさを抗えない。血の中には怒りとも悲しみともせつなさともやるせなさともつかないドロドロと混濁した感情が混ざっている。

「きたないオヤジとやらないと幸せがわからない」―パーティードレス

「私が少女でいるためにはみんなが優しくいることが必要だよ」―ピンク

「もしもいつか子供がうまれてもギターのほうがかわいいんだもの」―新宿

「光る水がただれた心に染みて生きていけるってことあるでしょう」―歌謡曲

 

その血の色をさらに鮮烈にするのが具体的で卑近な言葉で描写される情景。

「わたしがチャンネル回した途端に岸が打たれたらどうしよう」―コーヒータイム

「脱法ハーブ 握手会 風営法 放射能 ダサい ダンス ダウンロード」―音楽を捨てよ、そして音楽へ

BLTみたいなCanCamみたいなジャンプ、SPRINGSMARTなうた」―新宿

「たった二時間孤独をしのいで呑んで呑まれて中央線」―高円寺

「冬の玉川上水、右の川沿いを私が、ぬかるんだ左側をあいつらが」―展覧会の絵

「@YOUTUBEさんからあの子の端っこかじって知ったかぶりさ」―魔法が使えないなら

 

大森はムサビ武蔵野美術大学)出身で高円寺を活動拠点にしていたという。だからか、新宿~高円寺~東京都下までの見慣れた日常が映し出される。ライヴハウスと古着屋。風俗店とカラオケボックス。満員電車で疲れたサラリーマン。浮かれてるけど中身空っぽな学生たち。サブカルおたくとひきこもり。それは大森自身のことかもしれないし、身近な他の誰かのことかもしれないし、映画やドラマの中の虚構の人物かもしれないのだが、平凡の中に隠れた奇妙で不可解な人間心理が浮かび上がる。必ずしも文脈に辻褄があるわけではない。そして言うまでもなくその必要もない。重要なのは彼女の歌が日常の風景をリアルに活写しているってことなんだ。

挑発的扇情的な言葉による作詞センスが目立っているけど、それと同じくらい魅力に感じているのは実は彼女の音楽的個性。ヒステリックな嬌声をわめき散らすと思いきや一転、ドスを利かせた怒鳴り声で叫ぶ―どちらも刃物を突きたてられているような緊迫(それは意図せず「きたないオヤジ」の下心を抉る)―が一番の特徴。「激情系」と言われてるらしい。ふむ、確かに「激情」と言えるかもしれない。が、それだけじゃない。中には子守唄のように優しいものや、けだるくアンニュイなもの、コケティッシュなものもあって、「激情」と単純な一言ではくくれない深みと幅がある。またその深みと幅を持っているからこそ、あの混濁した感情と猥雑な日常感を表現できるのだと思う。

装飾を廃したアコギの弾き語りもまた、生々しい剥き出しの感情と日常のリアルさを表すのにおあつらえ向き。ビリビリと空気を震わせる荒々しいギターのカッティングや不協和音。ささくれ立った音の粒。スタジオ録音作品では異なるアレンジが施されていて、それはそれでポップで楽しいけど、歌とダイレクトに共振する生音(アコギあるいはピアノ)の演奏が彼女の魅力を最大限に引き出していると思う。表現の本質がどこにあるのかわかりやすいし…(とは言え、スタジオ作品にもライヴではたぶんあまりやらない名曲があるよ!)。

最後にもう一点…意図しているのかはわからないけれど、彼女の歌の中には強烈なアイロニーがある。インディペンデントな彼女の活動にもそれは見られるのだけれど、「既成の音楽」に対する窮屈さ、居心地の悪さ、ひいてはこの「社会」の窮屈さ、居心地の悪さ、虚飾と矛盾といったものへの風刺が効いている。

ちなみに彼女は大のモーニング娘。好きとしても知られており、モーニング娘。のカヴァーを演奏したりアイドルとジョイント・ライヴをやったり、果てはアイドルのイヴェントに出演したりもしている。彼女の活動を見ているとジャンルやスタイルに縛られない表現がいかに美しく楽しいかを実感できる。理屈や型を越えて自由に飛翔する新世代のたくましさに嫉妬さえ覚える。仮にそれが今、この一瞬の刹那で消えてしまうものであったとしても…。彼女の詩にたびたび登場する「魔法」という言葉は、その「自由に飛翔する力」を表しているようにオレには思えるのだ。