ビリビリと震える空気、ズシリとのしかかる重さ:Earth@新大久保アースダム

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 六月某日

ギターの音が大好き。透明な澄んだ音も好きだけど、歪んだ音がもっと好き。ギターが電気化されたことでそういう歪みが増幅され強調されるようになったけど、そこには、何ていうのかな、人工的な歪みと自然にできる歪みの違いがある。例えるなら、チークやマホガニーの無垢材で作られた家具の木目と木目調合板材家具との美しさの違いみたいなもの。どちらが好きかは言わずもがな。また、前回の記事でも取り上げたヨセフ・ヴァン・ヴィッセム&ジム・ジャームッシュのように憂いを湛えた旋律が緩いテンポで進みながらギターのフィードバック・ドローンと共鳴するのがたまらなく好き。アースもそんな音楽のひとつ。

アースを知ったのは割と最近のことである。「知った」と言うのは「彼らの音源に触れた」という意味で。数年前、はっきりと覚えていないけど、『Angels Of Darkness, Demons Of Lights 』の1と2がリリースされた頃だったように思う。すると、4年ほど前ということになろうか。きっかけはモグワイのスチュワート・ブレイスウエィトが、とあるラジオ番組で彼らの曲を紹介していたことだった(ネットの音源で聞いた)。予備知識はまったくなかったが、一聴して気に入った。いや、気に入ったなどという軽いものではなく虜になってしまったと言うべきか。音源を探して、とりあえず手に入れたのが『Angels Of Darkness, Demons Of Lights 2』と『Angels Of Darkness, Demons Of Lights 1』、そして『Earth 2:Special Low Frequency Version』だった。比較的最近リリースされた『Angels Of~』はまだしも、『Earth 2:Special Low Frequency Version』の革新性には度肝を抜かれた。と言うのも、ギターのフィードバック・ドローンが延々と鳴り響いてたから。この時点でアースが単なるロック・バンドとは性格を異にすること明らかである。こうした音楽は今でこそドゥームというジャンルとして確立され認知され、また愛好家も少なくないかもしれないが、それ以前はラ・モンテ・ヤングやトニー・コンラッドといった現代音楽家による実験的な作品・演奏に限られていた。おそらくこの作品がリリースされた当時(1993年)は相当なキワモノと受け取られたに違いない。でも、このドローンの美しさ、興奮と衝撃をロックのそれと同等にとらえて形にしたところにアースの偉大さがある。

加えてアースの中心人物、ディラン・カールソンがあの忌まわしき事件に深く関わっていた、まさにその人だったことにも気づく(当時のニュースでその名は耳にしていたはずだが、それっきりどんな人物か深く知ろうとしたことはなかった)。生前のカート・コバーンと親交が深く、なんとアースの初期EPにはコバーンが参加しているではないか(再発盤『A BUREAUCRATIC DESIRE FOR EXTRA-CAPSULAR EXTRACTION』に収録。独特なあのけだるい歌声が聞けるぞ!)。アースの初期作品を聞けば、カールソンとコバーンが音楽的にも共鳴していたことが窺えよう。アースがヘヴィなサウンドで表そうとした深い闇と狂気はニルヴァーナにも共通するよね。で、ニルヴァーナがスターダムを駆け上がって行く中でも交友は続いていたのだが、コバーンの死という最悪の形でそれも終焉を見る。

アルバムを4000万枚も売ったモンスター・バンド、ニルヴァーナ及びコバーンのカリスマ性と波乱万丈な人生はロック史の伝説として様々に語られている。にもかかわらず、アースに関する情報はあまりにも少ない。そうなった理由のひとつは、コバーンが他界した1994年あたりからアースの活動は途絶え、カールソンが長きに渡って隠遁生活を送っていたからだ。そのせいもあって、復活したカールソン及びアースは皮肉にも今やアメリカン・インディー界の生きる伝説となった。ちなみに…最近、ニルヴァーナがロックの殿堂入りを果たしたそうだけど、コバーンが生きていたらどう思うだろう? 彼ならあんな権威の押し付けと茶番劇なんて拒否すると思うんだけどな。また、カールソンはそのことをどう思ってるかな?

おっと話が脱線してしまった・・・。一方で、ドゥーム・ミュージックの帝王、SUNN O)))や日本を代表する超ド級ヘヴィ・ロック・バンド、ボリスが彼らに感化されたという事実も、実は最近までまったく知らなかった。『Earth 2:Special Low Frequency Version』こそがSUNN O)))やボリスのインスピレーションの源泉だったとは! SUNN O)))もボリスも好きなバンドで、振りかえって考えれば、彼らに影響を与えた本家を好きにならないわけないよな・・・。お気に入りの音楽が知らないところで繋がっていたってことがオレの場合本当によくある!

この生きた伝説、アメリカン・インディー界の最重要バンド、実は一昨年に初来日していたのだけれど、それは見逃していた。今回は絶対に外せない。というわけで、行って来たぜ。アースダム@新大久保(ヘヴィ・ロックのメッカ?)。

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ステージ上のカールソンは実に淡々と演奏している。ゆっくりとしたテンポのリフが延々と続く。先を急がない。必要以上に盛り上げない。ひとつひとつ吟味する。ゆっくりと高揚していく。このじっくりと時間をかけて炭火で炙るような演奏がなんとも言えない香ばしさを醸し出す。ゆっくりと絶妙なテンポを刻むのは女性ドラマー、エイドリアン・デイヴィス。リズムのタメと余韻を生む彼女のドラミングがこのバンドの重要なキャラクターになっている。言うまでもないが、生の演奏は録音作品よりもはるかに良かった。予想通り音の響きを強く、強く意識させる。ギターの弦が震え、ボディに反響し、さらにビリビリと空気が振動する。体にのしかかってくるようなズシリとした物理的な重さ。その重さに反作用して感情が溢れる、ほとばしる。激しい空気の揺れによって感情までもが揺さぶられる。ドローン(=響き)とはこういうものを言うのだ。そして、完全にはコントロールできないフィードバックの予想外の反響と残響。流れに身を任せながら手探りで音を紡ぐ面白さ。そう言えば、数ヶ月前に見たスティーヴン・オマリーのソロ・パフォーマンスでも同様のことを感じたっけ。

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これまでオレが抱いていたアースの印象は、とてつもなく重く陰鬱なリフが渦を巻き、地の底に引きずり込むような、過激で破壊的なものだった。彼らはしばしば「漆黒の音楽」と評される。確かに初期のアースは陰鬱で内省的な面が強かったとは思うが、今回ライヴで見た現在進行形のアースはむしろ宇宙的な空間の広がりを感じさせる実に悠然たる音楽を奏でていた。初期に象徴的だったヘヴィなフィードバック・ドローンを要としながらも、新たにブルースやブルーグラスといった土着的メロディを取り入れている。ただし、このメロディも、あくまでも響きに焦点を絞ることを意図したきわめてシンプルなもの。それはどこまでも続く広大なアメリカの原風景を思わせる。あるいは大自然や果てしない世界への畏怖を表しているようにも聞きとれる。カールソン、そしてアースが成熟と共にこのような形に発展したのもきわめて自然な成り行きだと思うし、全面的に支持したい。

アースのライヴを目の当たりにしてますます彼らのサウンド、音楽が好きになった。個人的にまさにツボ。ああ、ずっとこの音を浴びていたい、そんな思いで会場を後にしたのだった。尚、アースは近々新作がリリースされるそうなので、そちらを楽しみに待つことにしよう。