アジアン・ミーティング・フェスティヴァル 2015 東京公演@アサヒ・アートスクエア(通称うんこビル)

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二月某日

 

アンサンブルズ・アジアの関連イヴェント、アジアン・ミーティング・フェスティヴァル2015の東京公演を見に行った。

最初にこのコンサートの成り立ちも含めて、関連プロジェクトを説明しておくよ。それぞれ名前も似通っていてごちゃごちゃとわけがわからなくなっているので、いったん整理しておこう。

●アンサンブルズ・アジアとは―

アジアの国どうし、交流しながら、音楽シーンが広がっていく―アンサンブルズ・アジアは、音楽のフロンティアと音を楽しむ人とをつなぎ、ヒエラルキーのない、誰もが参加できるオーケストラをつくって、新たな音楽の可能性を世界へ発信していくプロジェクトです。

●アジアン・ミュージック・ネットワークとは―

ジャンル横断的に活躍し、国際間の共同制作やアジア域内での交流に関心の高いインディペンデント系の音楽家どうしのネットワークを形成していくプロジェクトです。リサーチや情報交換を通じて、各国の音楽家の情報を入手し、ライブやシンポジウムを通じて、交流を重ねながら、各国でキーパーソンとなる音楽家を見つけ出し、新たな音楽の創造を行っていくことをめざします。

●アジアン・サウンズ・リサーチとは―

従来の音楽というジャンルではとらえきれない音に関わるさまざまな表現をしている人々、何かが生まれている場をつなぎつつ、新たな場やネットワークの創出とそのアーカイブ化をめざします。日本とアジアASEAN地域の音を中心とした新しい表現や実験を相互に紹介しあうなかで、その地域で生まれた、あるいは生まれつつある新しい表現、創作を見いだし、その発表の仕方、方法そのものを現地で共同創作していき、これまでのアートや音楽の枠組みとは異なる独自の表現の相互交流をめざします。

●アンサンブルズ・ アジア・ オーケストラとは―

「アンサンブルズ・アジア・オーケストラ」は、特定の音楽を演奏するという概念を超えて、誰もが参加できるオーケストラを結成していくプロジェクトです。
まずはASEAN各地域を中心としたアジア各国の「民衆の文化、日常の生活」から生み出されている「ヴァナキュラーな音楽状況」(*)を調査し、本プロジェクト実施のためのカウンターパートとなってくれる団体や人を探し出します。各国において対話(ダイアログ)と現地調査(フィールドワーク)を通じて、大友良英を中心に国を越えた国際チームを結成し、そうした積み重ねのなかで独自の概念と方法を構築しつつ「アンサンブルズ・アジア・オーケストラ」をかたちづくることを目的としています。
*ヴァナキュラー (vernacular) : その土地・風土に固有の、の意。

●アジアン・ミーティング・フェスティヴァルとは―

アンサンブルズ・アジア / アジアン・ミュージック・ネットワークは、アジアの音楽シーンの中で伝統的な価値観や商業 主義に捉われることなくユニークな活動をしているアーティストたちをつなげることを目的としたプロジェクトである。 今や実験的で冒険的な音楽には中心となる都市もシーンもなく、多様なアーティストが複雑に絡み合う独自の小さなコミュ ニティが世界中に点々と散らばっているといえる。このプロジェクトでは、距離的に離れたこれらのアーティスト・コミュ ニティを顔の見える草の根レベルの交流を通じてつなげていき、ネットやソーシャルメディアだけでは形成できないような新たな共同制作の場を創りだしていくことを目標としている。日本の音楽家/作曲家である大友良英をアーティスティック・ディレクターに迎え、シンガポールの音楽家ユエン・チーワイ、香港を拠点に活動する音楽家 dj sniff(水田拓郎)が プロジェクト・ディレクターを担う。アジアのミクロな音楽シーンとの対話とリサーチが、今、始まる― 。アジアン・ミーティング・フェスティバル2015は、この「アジアン・ミュージック・ネットワーク」プロジェクトの成果を初めて公開する場となる。東南アジアの国々から音楽家が招待され、日本で初めて、日本のさまざまな音楽家と共演する。 アジアの音楽シーンの発展にスポットをあて、音楽に関するインディペンデント映画の上映会や監督・音楽家によるトークも開催する。このフェスティバルは一過性のイベントではない。アーティスト・コミュニティ間の長期的なネットワーク形成の出発点となるものであり、将来に向けて、他の国や都市でも成立しうるモデルを考えるための実験の場でもある。

―すべて公式サイトからの引用―

 

一応まとめてみたけど、なんだか壮大で複雑なプロジェクトですね。壮大すぎてオレにはいまいちピンとこない。それにこの公式サイトの文章、すごく説明的だし官僚っぽくてイヤだなぁ。この辺がいかにも独立行政法人国際交流基金らしい? にもかかわらず、このフェスを見に行ったのは、大友良英がアーティスティック・ディレクターを務めているから(本ブログでは何度も彼に関する記事を書いているように、オレは大友良英のファンである)。

プロジェクトのひとつにアジアン・サウンズ・リサーチってのがある。確か大友さんは学生時代、民族音楽研究家で明大の教授だった江波戸昭のゼミに参加してたはず。大友さんにはぜひともこれから“現代民族音楽”をバンバン紹介して、かの小泉文夫の仕事を継承していってほしいな。あと、ヴァナキュラーという言葉を聞いて、はっと思ったんけど、「ヴァナキュラーな音楽」とは、まさに武満徹が述べた「持ち運びできない音楽」と同じ概念だよね。やっぱり大友さんは武満と共通する部分があるなぁ。

しかし、そうしたことよりも先だって、実は大友さんはずっと以前(10年くらい前?)から同様の名前を冠したフェスティヴァルを開催してきた経緯がある。そもそもの発端は、確か当時さかんに行われていた反日デモとそうした活動に人々を煽動するナショナリズムの高揚(中国や韓国だけでなく、日本も含めて)に対する疑問と批判から生まれたと記憶している。そしてそれを解消する手立てとして、国家という幻想的で実生活とはほど遠いあまりにも大きな共同体としてではなく、一音楽家としてごく個人的なつながりからアジアとの交流と理解を深めようとしたのであった(最近のヘイトデモ等を見ると残念ながら情況は決して良くなっていない。むしろ悪化してるようにも見えるけど…)。

大友さんは当時、以下のように言っていた―

この20年、わたしは、それこそ欧米のいろいろなミュージシャン達といろいろなところで沢山共演をしてきました。欧州にいけば、出身国の違いなんて、日本で言う出身県の違い程度とまではいかないけれど、それに近いくらいの感覚で、いろいろなミュージシャンが当たり前のように行き来して、交流し、影響をあたえあったりしています。こんなふうにアジアでもなればいいなって、ずっとココロ密かにおもっておりました。

でもこんな素敵な状況、欧州にも昔からあったわけではもちろんありません。だってたった数十年前にはドイツ人とフランス人が殺しあっていたんですから。今の彼らの、自由な行き来は、最初からあったものではなくて、この何十年か、特に70年代以降、多くのミュージシャン達が試行錯誤をしながら勝ち取ってきた自由なんです。

こんな素敵な交流、僕等のまわりにもあってもいいですよね。

 ―「大友良英のJAM JAM日記」からの引用― 

その意義や目的には大いに共感できたし、実際に行われたパフォーマンスはなかなかおもしろいものだった。その時のフェスに参加していたユエン・チーワイ(今回のプロジェクトにも参加している)や中国のヤン・ジュンや韓国のアストロ・ノイズ(チェ・ジョニュンとホン・チュルキによるユニット)とかね。ただ今回は残念ながら中国、韓国勢の姿は見えない。国際交流基金がアセアン諸国限定だから? はっきり言って、その時点で“自由”じゃないような気が…。それはともかくとして…普段はなかなか触れることのできないアジアの実験音楽が一同に介したイヴェント。見る価値は十分にある。

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 出演者は以下。

大友良英(東京)/dj sniff(香港)/ ビン・イドリス(バンドン)/ トゥ・ダイ(ジョグジャカルタ)/イマン・ジムボット(バンドン)/コック・シューワイ(クアラルンプール) /レスリー・ロウ(シンガポール)/ユエン・チーワイ(シンガポール)/ ユイ= サオワコーン・ムアンクルアン(バンコク)/グエン・ホン・ヤン(ホーチミン) / ルオン・フエ・チン(ハノイ) / Sachiko M(東京)/米子匡司(大阪) / 山本達久(東京) / 佐藤公哉(東京) / かわいしのぶ(東京)/FUMITAKE TAMURA(Bun)(東京)/ KΣITO(東京)/渡辺愛(東京)/ 小埜涼子(名古屋)

 総勢17名。知らないアーティストばかり。恥ずかしながらディレクターのdj sniffも知らないし聞いたこともない。知ってるのは大友良英、サチコM、山本達久、かわいしのぶ。外国人ではレスリー・ロウ、ユエン・チーワイの二名のみ。知ってる外国人のふたりにしても以前に大友さんが共演したり紹介したりしていたからで、積極的に聞いたことはない。大友さん独特の “アンサンブルズ”スタイルの中でそれぞれがどのようにコミュニケーションし、どんな演奏を聞かせてくれるのだろう。

ステージ/客席という通常のコンサートの配置ではなく、演奏者は会場内に散らばって配置している。これは大友さんがしばしば試みるコンサート・スタイル(かつてのコア・アノードのようなスタイル?)である。一度に全員が音を出すわけではなく、数人の奏者が組になって順番に演奏していく(コンサートの最終部分だけは全員が参加しての演奏)。おそらくほぼ即興であろう。組み合わせによって予想外の曲や響きが生成されるのがおもしろい。

“アジア”という看板にも関わらず、意外にも土着的伝統的楽器は少ない。イマン・ジムボットのガムランくらい? 「アジアの音楽シーンの中で伝統的な価値観や商業主義に捉われることなくユニークな活動をしているアーティストたちをつなげる」ことがプロジェクトの目的として掲げられているから、伝統的楽器が見られないのは必然なのかもしれない。ただしインダストリアルや電子的なサウンドを駆使しながらも、楽曲に土着的な味を滲ませたりする人もいる。

そうしたアンサンブルのおもしろさはあるものの、いまひとつ手探り状態な感じがしないでもない。ミュージシャン同士が十分な理解とリスペクトの上に共演していたかはちょっと疑問。そのせいなのかどうなのか、欧米のフリーインプロの合奏に比べて各々の演奏者がどことなく控え目な印象も受けた。悪く言えば自己主張が弱いってことだけど、なんて言うか周囲の環境に自然と溶け込んで自らを生かすといった、まさにアジア的な気質と発想とオレは肯定的にとらえたい。結果としては、和気あいあいで慎ましやかな演奏会だった。個人的には、もっと混沌(それもアジアの個性?)としても良かったとは思うが…。

そんな中、オレが気になったのはチェロのユイ=サワコーン・ムアンクルアンとギターのビン・イドリス。ユイ=サワコーン・ムアンクルアンはバンコク拠点に活動するチェリスト。持続音を奏でたり打楽器のように演奏したりしながら、且つ自ら歌う。それもヴォイス・パフォーマンスともスポークン・ワードとも言えないような独特の歌唱スタイルを持っている。楽器は異なるけどジョエル・レアンドル(フランスの女性コントラバス奏者)を彷彿させる。


Bartlett Mic-Keep Walking!-ภวังค์- Saowakhon Muangkruan- ยุ้ย เชลโล-Cello- Boss Loop RC-30 - YouTube

ビン・イドリスはインドネシアのバンドンを拠点に活動するハイカル・アジジのソロ名義らしい。ボトルネックを駆使する彼の奏法はブルージーでありながらも、懐かしさとせつなさとはかなさと哀愁を感じさせる。これもアジア独特のセンスから生まれるものなのだろうか?


Bin Idris - Mahabharata [Live at STUDIORAMA Returnal] - YouTube

 

大友さんが当初考えていたコンセプトでは、個々の草の根的つながりを重視してたと思う。アジアン・アンサンブルズがありがちなアジア諸国実験音楽見本市で終わることなく、ミュージシャン同士、個々の自由な交流が活発化してほしい。このフェスでオレがやや疑問に思った「十分な理解とリスペクト」はこれから作っていけばよい。その中でおもしろい音楽やアートが生まれることも期待している。

あと、よけいなお世話かもしれないけど、本当にこのプロジェクトやイヴェントを浸透させたいなら、主催者は「コンサート中の写真撮影禁止」とかマジやめたほうがいいと思うよ。アイドルや映画スターが出演してるわけじゃないんだからさ。こういうのはネットやSNSを通じてガンガン拡散したほうが宣伝にもなるからね。