2015初笑い後編@末廣亭ニ之席夜の部

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一月某日

 

年始からほったらかしにしていた記事の続きをこっそりアップ(いちおう三部として書き始めたのをそのままにするのも気持ちが悪いので)。かなり時間が空いて記憶や印象も薄れてるから内容はあくまで覚書程度です。

 

時松「はなむけ」:落語ファンの高齢化をネタに。好きな噺家は死んだ人ばかり。そこから学校寄席の話題、小咄をいくつか。「鰻の匂ぎ代」から本編「はなむけ」に。このネタ初めて聞く。あまりあらすじも入ってこないしサゲもよくわからなかった。ので、後で調べると「旅立ちにおならをひとつ置き土産」「あまりの臭さにはなむけも消す(せず?)」ということらしい。

 〆治「看板のピン」:見真似聞き真似で下手を打つ、オレの好きな噺のひとつ。〆治で聞くのは初めて。親分の重厚さ渋さと、子分の軽薄さタワケっぷりの対照が聞かせどころ。

 左橋「初天神:初席では必ずかかる縁起モノ?。正直、おもしろいと思ったことは一度もない。けど、もしこれを現代風にアレンジしたらおもしろくなるんじゃなかろうか。今時の親子という設定でさ。

扇遊「権助芝居」:どこかで聞いたことある。今回のはおそらく寄席用の短縮版か。扇遊の噺は安定感があって聞きやすかったと思うが、権助のきつい訛りのせいで言葉がよく聞き取れない(それがおかしさの肝であるんだけど…)。そのせいで噺に入り込めない。サゲもよくわからなかった。

喬太郎「午後の保健室」:今時の学校寄席、幼稚園寄席のあれやこれや。学校寄席の話題は喬太郎に限らずマクラでよく聞かされるなぁ。でも、このネタのマクラとしては相応しい。保健の先生、生徒、校長による保健室での会話。すべてのキャラがチグハグな言動を見せる中、徐々に本当のキャラが暴かれていく(オチで保健の先生の本当の姿が明かされる)。精緻な構造。鋭い観察眼と題材を笑いに変える創造力。ダジャレのセンスもいい…んだけど、いかんせんセリフがわざとらしく、そこがいつも気になってねぇ~。

雲助「庭蟹」:洒落のわからない人ってのはいつの時代にもどこにでもいるもんだ。

権太楼「代書屋」:マクラの楽屋話がおもしろかった。スマホですぐに検索する今の時勢をおもしろおかしく揶揄。ネタは鉄板。途中までで短く切り上げる。

小満ん「あちたりこちたり」:この日一番のお目当ては小満だった。そして大当たりを引く。「あちたりこちたり」は小満んの(唯一の?)自作演目。それを生で聞けるなんてラッキーとしか言いようがない。飄々とした口調。所々に挟まれる駄洒落。頻出する「なんだい、ええぇ?」。語幹を強く語尾をすぼめる抑揚が特徴。独特のテンポを持つ変わりネタ。全編ボヤキで進んでいくのにそれぞれの場面、情景が浮かび上がってくる。キャラクターの心理と行動、そして言葉がよどみない川のように流れていく。そこに美しさすら感じた。これを聞けただけでこの日は来た甲斐があった!!

金馬「長短」:金馬健在でなにより。「長短」と言えば、さん喬のそれがとても印象に残ってる。そして絶品だと思う(どうしても比べてしまう)。じれったさに耐え切れず言葉を焦って繰り出してはダメですね。じらせばじらすほどこの噺はおもしろい。

小袁治「家見舞」:ドジなふたり。

志ん橋「熊の皮」:これも初めて聞く。前半のあらすじは「鮑のし」に似てる? 今は女房の「尻に敷かれる」と熊の皮を「尻に敷く」をかけてサゲとするみたいだけど、元来は艶笑噺として語られていたらしい(詳しくは書かない。気になる助兵衛共はこっそりググってニヤニヤしてね)。志ん橋は素っ頓狂な語り口に特徴がある。

小里ん「二人旅」:テンポのいい掛け合いと江戸弁(ちょっと汚いくらいの口振り)が楽しい。この抑揚とテンポはラップに近いと思うのはオレだけか。

小三治「野ざらし」:正月の存在意味を説く寄席定番のマクラは短め。しみじみとさせるが、何度も聞いているので正直違う話が聞きたいぞ(そこは小三治だけに)。釣りに関する小咄も披露。「野ざらし」は言ってみればファンタジー。最後にハチャメチャになるのもファンタジー色が強い(正式のサゲまではもちろん演じず)。国宝小三治は今や「重鎮」「貫禄」って形容が似合うけど、茶目っ気があってこうしたひょうきんキャラクターを演じるのが意外に得意だと今さらながらに気づいた次第。

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