空間現代 COLLABORATIONS@SuperDeluxe:その2

十月某日。


二日目公演は劇団地点とのコラボレーション。地点とは過去にもコラボーレーションしていて、今回が二回目となるわけだが、その緊密かつ意欲的な共同作業はコラボレーションの域を越えている。地点とはどんな劇団なのだろう。

多様なテクストを用いて、言葉や身体、光・音、時間などさまざまな要素が重層的に関係する演劇独自の表現を生み出すために活動している。劇作家が演出を兼ねることが多い日本の現代演劇において、演出家が演出業に専念するスタイルが独特。

2005年、東京から京都へ移転。2006年に『るつぼ』でカイロ国際実験演劇祭ベスト・セノグラフィー賞を受賞。2007年より<地点によるチェーホフ四大戯曲連続上演>に取り組み、第三作『桜の園』では代表の三浦基が文化庁芸術祭新人賞を受賞した。チェーホフ2本立て作品をモスクワ・メイエルホリドセンターで上演、また、2012年にはロンドン・グローブ座からの招聘で初のシェイクスピア作品を成功させるなど、海外公演も行う。2013年、本拠地京都にアトリエ「アンダースロー」をオープン。(法人名:合同会社地点)

地点公式HPから引用―

今回のコラボレーションは、そもそも地点の作品として上演される『ミステリヤ・ブッフ』を元にしている。ライヴはその断片というか、舞台公演としての『ミステリヤ・ブッフ』をライヴ用にアレンジしたものである。なので、『ミステリヤ・ブッフ』についても説明しておく。

『ファッツァー』に続く地点×空間現代第2弾。ロシア・アヴァンギャルドを牽引した詩人マヤコフスキー十月革命の一周年を祝うために書いたという戯曲『ミステリヤ・ブッフ』をサーカス小屋のアリーナを模した円形舞台で上演。音楽と言葉が、敵対し、鼓舞し合い、共闘する。野次がシュプレヒコールに変容し、時に歌となる。聖史劇を意味する「ミステリヤ」、笑劇を意味する「ブッフ」を全力で体現した、地点初の喜劇。

地点公式HPから引用― 

オレは前回『ファッツァー』のライヴ版も見た(ちょうど今回と同じようにここスーパーデラックスで披露された)。前回がどんなだったかは、舞台本編の動画から様子を窺ってほしい。言葉で説明するよりもわかりやすいと思う。

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『ファツァー』のライヴ版はバンドの音を銃砲に見立てて撃たれると役者たちが倒れていくような演出だった。つまり役者たちは空間現代の音に即興的にその場で反応していた。それに対し今回は空間現代の音楽をに合わせて、セリフ(演技)が発せられる。即興的に演技するのではなくきっちりと作りこんで音楽と同期させてるようだ。発声はマイクを通して行われ、そこにも声を音楽と拮抗させんとする意図が見える。演出家の三浦基氏曰く「それは音に言葉(意味)を付着させるために行った」とのこと。セリフの反復(シュプレヒコール?)も言葉(意味)を脳内再生させる手段のひとつだそうだ。

そもそも空間現代の音楽の妙は、音が出ると予想してるところで音がしない、逆に音がしないところで音が出る、つまり「ズレ(エラー)」にこそある。そのズレは偶発的に起こるのではなく、意図的で巧妙に計算されたものである。その巧妙な計算を役者の演技にも取り入れて、演技と音楽を同等として提示、まさにそれらが拮抗していたと思う。単なるサウンドの威力や目新しさを演劇に取り入れたのとは違い、空間現代の構造的実験性を演劇に応用したと言えるんじゃないかな。

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ただ、個人的には役者たちの張り上げる声がどうも苦手。すごく不自然に感じてしまう。それに、セリフの古臭い言い回しや外国名などもあまりに異世界のもので、意味の解釈も現実感も共感も生まれないまま過ぎていった。オレは地点の正式な舞台を見たこともないし、ヤマコフスキーという名前も初めて聞いったってほど演劇や舞台芸術には疎いのでそうなっても仕方ないか…。一方、輪唱のようにセリフを連呼する場面は言葉の意味と関係なく聞いていて心地良かった。

歌(言葉、詩、歌唱)と音楽の関係についてはしばしば考える。空間現代はあの強力な音楽に弱々しくか細いヴォーカルが乗っかることにおもしろさを感じている。ぼんやりとしてはっきり聞き取れないからこそ気になるのだ(地点のセリフとは対照的!)。この辺の個人的興味は尽きない。ちなみに空間現代は古川日出男ともコラボしている。これが強く印象に焼きついている。

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