日本映画史に残る名シーン?:『私の男』@池袋ヒューマックス

f:id:curio-cat:20140721181907j:plain

七月某日

話題の映画、『私の男』を見る。『ヒミズ』を見て印象に残った二階堂ふみが主人公、花を演じている。二階堂は『ヒミズ』以降も『悪の経典』、『地獄でなぜ悪い』、『ほとりの朔子』と、どの作品でも注目され、女優としての高い評価が聞こえてくる。その実力がいかほどなのか確認したくて見に行ったところが大きい。

スクリーン上でキラキラと輝く無邪気さにやはり天性のものを感じる。『ヒミズ』でもそうだったけど、何かに対して一途に突き進む純粋さを演じさせたらこの子は抜群の輝きを放つなぁ。流氷の海に飛び込むシーンがあるけれど、自然の驚異と美しさを背景に、切羽詰った感情を爆発させるまでの緊迫に息を呑んだ。あのシーンは日本映画史に残る名シーンと言えるんじゃないかな。

ちなみに…流氷や雪原の風景の背後で響くジム・オルークの音楽も良い。自然は人間の生活や社会とは無関係に無慈悲なまでに過酷な環境(津波はその究極な例)を強いたり、美しい景色を見せたりもする。美しさと無慈悲な過酷さが混在する不条理な世界や、日常に漂う不穏な空気に彼の音楽は見事に共鳴していた。特に即興演奏的なバンドの生々しい音に電子音を溶け込ませるあたりは彼の真骨頂。今さらながらオルークの天才ぶりを見せつけられた。オルーク・ファンとしては、彼がこの作品をどのように見て、どんなことを考えながら音楽を作っていったのかぜひ知りたいところ。

f:id:curio-cat:20140721181804j:plain

一方、無邪気な少女が背徳の性に溺れるところがセンセーショナルな話題にもなっているようだ。が、本質的には究極の愛を描いた作品だと思った。言い換えれば、社会制度や法の禁忌より先行して人間の本能(血や匂いがその象徴)が勝ることを教えてくれる(とある映画紹介記事で「性的虐待」って表現を目にしたけど、それはちょっと違う気がする)。花は「私は間違っていない」と言う。それに対して藤竜也演じる大塩が「それはいけないことだ」と諭す。「愛情が人を狂わせる」だか「性が人を狂わせる」だかとも言ってたような…(セリフを思い出せない:汗)。社会常識的には大塩の言うとおり。しかし人が人を愛することがなぜ否定されるのか。愛は素晴らしい、正しい、美しい、愛こそすべて、とされる一方、愛しすぎることは時に邪悪であり悲劇であるという、もうひとつの真理がそこにある。テーマとして奥が深いし、それによって「愛」を見失いつつある現代人の心は抉られる。

褒めてばかりだけれど、残念な部分もあり。ツイッターやらブログで「二階堂ふみが少女からおとなの女までを演じていて素晴らしい」って感想をちょこちょこ見かける。確かに熱演していたけど、「おとなの女」って点はまったく同意できない。無邪気さ、恐いもの知らずの奔放さ、思春期特有のロマンチシズムと純情等が混在した少女の演技の素晴らしさに対して、おとなの色気というところまでにはまだまだ及んでいない。官能的な演技にもあまり興奮しなかったし…。

おそらくその理由は二階堂の未熟さだけでなく、愛情と性の接点が作品で描かれていないから。淳悟と花の濃密な関係や所有欲といったものは理解できる。それは人間の持つ本能的な欲求である。ただし、家族を失った孤独な少女が義父(実は実父である)に過剰な愛情を抱くとしても、それが性的なものになるだろうか? 仮にそこへ向かうとしても、その動機なり要因がほとんど描かれていない。それは淳悟の人格形成についても言えることだ。謎が多くて、って言うか整合性に欠けるところが多々あって違和感も強かった(原作はどうなのだろう?)。

それよりも小町役、河合青葉の地味ながら哀愁感漂う演技がむしろ印象的だったな。あのやつれた表情と体にたまらなくエロスを感じたし、花に対する嫉妬や恋の破局へ向かう動揺と焦燥といった感情の自然な(リアルな)表現が素晴らしい。

f:id:curio-cat:20140721181838j:plain

映画では理解できなかったいくつかの点が原作でどう描かれているのか気になる。また原作は現代から過去に遡る形で物語が語られているという点が映画とはまったく異なるらしい(前半、時間軸上の回想というか過去のシーンの映像の粗さに気づいた? 幼女時代が16mm、少女時代が35mm、おとなになった現代がデジタルで撮影されてるそうだ)。そうした点を確認したいし、逆にあの映像が文章でどう表現されているのかも興味あるし、映画のテーマと原作のテーマがどのように重なるのかも気になる。この機会にぜひ原作を読んでみようと思う。

※予告編はあえてオルークの音楽がフィーチャーされている海外版を貼っておくよ。

 

余談:浅野忠信って人気あるよなー。なんであんなに人気あるのかな。演技がそれほど巧いわけでもないし。長身でカッコいい(クォーターらしい)とは思うけど、そんなイケメンじゃないよね? いやイケメンか? でも甘い顔ではない。浅野の魅力って…色気、 雰囲気、存在感? それとも髭、胸毛? 浅野好きの女ってどこか共通点ありそう? 浅野好きな女性がいたらぜひともお伺いしたい。

 

追記:

八月某日

さっそく原作を読んでみたのだが…映画のイメージが強すぎて、文章からのイメージ喚起は大いに邪魔された。登場人物についてはどうしても映画の役者を重ねてしまう。そうして見ると浅野忠信は淳悟のイメージに非常に近かったのに対して、二階堂ふみのイメージは花とは重ならず違和感が大きかった。もちろん原作=映画ではないから、それでかまわないのだけれど、映画を観た後に原作を読むことの弊害はこんなところにある。最初に原作を読んでいれば、映画も小説もおそらく違った印象になったはず。

原作にも流氷の上で花と大塩が言い争うシーンがある。あのシーンは映画でも原作でも鬼気迫る最大のクライマックスと言えるが、原作では花は海には飛び込まない。あれは映画のために作られたシーンだったのだ! ならばなおさら名シーンに値する。

映画を見て謎に感じた部分―花と淳悟が性的に求め合う根拠や淳悟の人格を形成した要因とか―は原作を読んでも解決しなかった。ただ、映画よりは若干、その辺を暗示させるところ(映画には登場しない母親との関係とか)はあるかな。現在から過去に遡って物語が語られる原作の構成は、ミステリアスでたしかに読みごたえある。映画を見ていなければ、その展開をもっと楽しめたろう。この点も映画を観た後に原作を読むことの弊害。

f:id:curio-cat:20140813160514j:plain